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キシミー (Kissimmee )はアメリカ合衆国フロリダ州オセオラ郡の都市で、同郡の郡庁所在地。 2010年国勢調査での人口は59,682人。 キシミーは2,134,411人〔(2010年)の人口を誇るオーランド・キシミー・サンフォード大都市圏の中心都市の一つである。 == 歴史 == この地域は当初、南軍の将軍J・H・アレン将軍の名前からアレンデールと名付けられていた。彼はメアリー・ベルという名の貨物蒸気船をキシミー川に沿って運航した。 市として法人化された1883年に、キシミーに改名された。キシミーという名前は、ネイティブアメリカンの言葉で「長い水(long water)」という意味の、Cacemaからきている〔Katherine Long November 16, 1986.〕 。 市の成長は、フィラデルフィアのハミルトン・ディストンの功績によるところが大きい。彼は購入した400万エーカー(8,000km2)の土地に排水路を整備した。 彼は財政的に不安定なフロリダで南部の土地の排水をする契約をした。彼はほぼ半分の土地の排水に成功した。ディストンはこの計画によってアメリカでもっとも広い土地の所有者となった。 ディストンが浚渫や土地投機を行うためには、新しい水路に沿って人や物資を運搬するために小型蒸気船が必要だった。キシミーの造船所で生産していたのはほとんどが大型蒸気船であり、キシミーは文明社会に一歩先んじていた。 同時に、南フロリダ鉄道の路線もサンフォードからキシミーまで延長され、トホピーカリーガ湖にも面していたキシミーは中央フロリダの交通結節点となった。 しかしキシミーの全盛期は長く続かなかった。鉄道輸送の広がりは、蒸気船による貨物や旅客の輸送を脅かした。1884年までに、南フロリダ鉄道はタンパまで路線が延長された。1893年恐慌はアメリカがこれまでに経験した中で最悪の不景気であった。土地投機は破綻し、不良債権が残された。 ハミルトン・ディストンはキシミーの土地の運用を放棄した。1894年から1895年にかけて襲った寒波により、柑橘類が壊滅的な打撃を受けた。この寒波による影響や、さらに南フロリダの発展に相まって蒸気船産業がオキーチョビー湖に移転したこともあり、キシミーの産業は牧畜に頼ることになった。 キシミーの人口は1950年に4,310人であった。当時は柑橘類の包装や大規模な牧畜が主な産業だった〔''Columbia-Lippincott Gazetteer'', p. 956〕。 近隣にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートした1971年まで、牧畜は市の経済の重要な一部分であった。その後牧場の大部分は分譲地や観光のために取って代わられた。それでも、現在も牧場は市の近隣、とくにオセオラ郡南部に点在している。 2004年8月13日、ハリケーン・チャーリーがキシミーを通過し、時速100マイルを超える暴風が家屋を襲った。市の至る所で木々が倒され、電線が切断された。 キシミー公益事業局は、停電から72時間以内に54%の住民に電気を復旧させ、1週間以内には85%まで復旧した。すべての停電が復旧したのは8月28日だった。ハリケーン・チャーリーの3週間後にも、ハリケーン・フランシスがこの地域を襲い、さらにその3週間後にはハリケーン・ジャンヌが襲った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キシミー (フロリダ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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